何処から来て、何処へ行くのか―ポール・オースター「ムーン・パレス」をめぐる対談/考察
- 作者: ポール・オースター,Paul Auster,柴田元幸
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1997/09/30
- メディア: 文庫
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小説をめぐる対談その2は、ポールオースター「ムーン・パレス」。前回はサリンジャーの「フラニーとズーイ」でしたが、初回にもかかわらずけっこうたくさんの方に読んでいただけて嬉しいかぎりです。亀のような更新スピードで恐縮ですが、よかったらお付き合いください。
※前回の記事はこちら
M:万葉
S:沙妃
偶然とか、必然とか
S 今回選んだのはオースターの長編「ムーン・パレス」。これは万葉ちゃんチョイスだね。私、初めてのオースターは「ガラスの街」で、これがなんだかぴんと来なくて、それ以来ポースターは合わないやって思ってたけれど、「ムーン・パレス」は一転、久々にぐいぐい引きこまれた小説だった。
M この話は、主人公マーコの半生を描いたもの。大学生のマーコは、伯父を亡くして身寄りが1人もいなくなってしまった状況のなか、餓死寸前まで自分を追い詰める。やがて女の子に助けられて、その後奇妙な住み込みバイトを始めるんだ。身体の不自由な老人エフィングの世話係みたいなものを。そのエフィングの世話をするうちに、ひょんなことから素性のわからなかった父や祖父の過去が明らかになっていく......という。でもこれって推理小説とかサスペンス小説とかではなくて、あんまり言うとネタバレになっちゃうんだけど、エフィングがマーコ自身の実の祖父だったんだよね。だからこの話は、自分のルーツ(父が誰だかわからない)を探す旅でもあり、アイデンティティをめぐる話でもあるんじゃないかと。
S うん、私もこの話は、ルーツ探しの物語なんじゃないかと思った。なんだろう、マーコが実の父と出会うきっかけになったのはエフィングの世話をしていたからで、偶然なんだよね。でもマーコは父が誰だかわからなくて、母も子供の頃に亡くなって、唯一の肉親だった(だと思っていた)伯父も亡くなったという状況で、自分のルーツを探す欲望は、ずっと持っていたんだと思う。だからこの物語の中では、エフィングが実は自分の祖父で、実の父とも出会ってというのは、必然のように感じた。
M 偶然と必然かあ。この小説にも、偶然や必然についてのマーコの考察めいた話が出てくるよね。「人間の人生というのは、無数の偶発的要素によって決められるのです」「人は日々、これらの衝撃に耐え、何とか平衡を保たんとあくせくしています。......世界の混沌に身を委ねてしまうことによって、何か隠れた調和を世界が啓示してくれるんじゃないか、おのれを知るに役立つ何らかの形なりパターンなりが見えてくるんじゃないか、そう思ったのです」(オースター「ムーン・パレス」新潮文庫P.144)「偶然が正しい方向に導いてくれたことを僕は理解した」とか。
私、自分の記憶を辿ってみて、あれは偶然だったのかなあ、必然ってあるのかなあ、とか考えることがあって、人生は偶発的要素でできてるんだ、っていうこのマーコの考察に、こういう考え方もあるのか!って感心してしまった。
私、ポール・オースターすごく好きなんだけど、なんで好きなんだろうって考えてみたら、哲学めいたことの考察を小説の途中で始めちゃうところかなあ、と。そしてその文章がすんと腑に落ちる。例えば、この「偶然」についての考察も、オースターの他の作品にたくさん出てくる(『トゥルー・ストーリーズ』とか、『孤独の発明』とか)んだけど、オースターの作品における大きなテーマになってるのだと思う。
そういえばね、私ものすごい偶然的出来事を経験したことがある。ドイツのボンからフランクフルト空港に向かう列車に乗ってた時。席がいっぱいだったから、立って向かいの窓の外の風景をぼんやり見てたんだけど、その時ふと横切った顔が誰かに似てるなあと思ったら、なんと大学の友だちだったの!異国の地で、同じ日同じ時間の同じ列車、しかも同じ車両に居合わせる偶然に、ほんとにびっくりした。こんなことってあるんだなあって。
S うわあ、それはすごい偶然。びっくりするような確率の偶然に出会うと、その意味について考えちゃうよね。人生は偶然なのか必然なのか、誰にもわからないけれど、少なくとも偶然を必然にしちゃうというか、マーコの言う「何かしらのパターン」を見つけ出すっていうのは、人間がこの世界で生きていくための知恵のような気がする。
ルーツ探し
S マーコはこのように親がいない主人公だけど、親がいない主人公の物語とか、ルーツ探しの物語って多い気がする。そういう意味では、この小説も普遍的なものを扱っているんだなと。
数学のX軸とY軸による座標じゃないけれど、縦軸と横軸、時間と空間があって、初めて自分の居場所が確認できるのかなと。マーコはこのうちの縦軸―自分のルーツが欠けていて、だから心もとないというか、自然とルーツを辿る旅をしたんじゃないかな。伯父が亡くなったあと彼は積極的に生きようとしなくなり、餓死寸前まで行くんだけど、それも唯一の縦軸、縦糸がぷつんと切れちゃったからかなあ、とか、私は思った。
M そういえばエフィングの話の中に、こういうのがあった。「月や星との関係においてのみ、人は地上でのみずからの位置を知ることができる。......<ここ>は<そこ>との関連においてのみ存在し、その逆ではない。......自分でないものを仰いではじめて、我々は自分を見出すんだ。」(P.271)これも縦軸、縦糸と同じことかもしれないね。「自分でないもの」を据えないと、自分はわからない。自分を内に探していっても、わからない。そう考えると、前回話し合った「フラニーとズーイ」の、自分の殻に閉じこもっちゃうフラニーにもつながるかも。自分の中に潜っていって、消えてしまいそうになるフラニーは、前半の、誰にも会わずごはんも食べず、部屋に閉じこもるマーコと重ならない?
S 確かに!改めて、「自分」は何かとの関係性の中にしかないんだなと思う。でもそれに気付くのって、やっぱり一度とことん、まあフラニーとかマーコほどじゃなくても、自分の中に潜っていく経験を経る必要があるんだろうね。だから、時間という流れがある物語という形式で、何度もこの自分の中に潜る→関係性の中に帰ってくるという経験が語られるのかもしれない。
父殺し
S 主人公のマーコって、間接的にだけど、祖父のエフィングとその息子、つまり自分の父親を殺してしまうんだよね。私はこれ、オイディプス王を思い出した。自分の父とは知らずに、父親を殺してしまう古代ギリシャ悲劇。
これ、一般的な子どもの親離れを象徴的、というか物語的に書いているのかなと思った。父を知る→殺す→自分の足で歩く、というマーコの物語は、子どもが大人になるために必要なイニシエーションを表していて、だから「ムーン・パレス」は見方によっては、大人になるための物語なんじゃないか。
M たしかに。そうやって大人になるための物語ってみると、劇的なこの話の筋がちょっと和らいで考えられるかも。後書きで、この小説のメッセージとして「人はいったんすべてを失わなければ何も得ることはできない」って書いてあるように。でもその失うって言ってもマーコの場合、自ら進んで壊していっているように思えるけれど。
月のモチーフ
S タイトルもそうだけれど、この物語を貫いているモチーフって月なんだよね。月は何を意味しているのか、何のメタファーなのか、っていう問いが当然読んでると浮かんでくるけれど、必ずしも一つではない気がする。翻訳した柴田元幸氏のあとがきによると、
......タイトルにもある「月」のシンボリズムについて考えてもいいかもしれない。マーコの夢想癖、浮世離れした性格の象徴としての月。月面着陸に見られるような、未知の世界へのアメリカ的渇望の究極的対象としての月。老人(引用者注:エフィングのこと)がかつて知り合いだった、実在の異色画家ラルフ・ブレイクロックの描く月は、逆に、アメリカが失ってしまった世界を包んでいた調和の中心だ。あるいはまた、超肥満体歴史学者のつるっ禿げ(引用者注:マーコの父のこと)の頭もどこか月を思わせる......
と書かれるくらい、たくさんのメタファーとして月は解釈できるんだよね。
M タイトルの「ムーン・パレス」はマーコが大学時代に通っていた中華料理店の名前(実在し、実際に作者オースターも通っていた)だしね。そこで出されるフォーチュンクッキー(アメリカの中華レストランでは、食後にフォーチュンクッキーが出され、クッキーを割ると一言書かれたおみくじが出てくる)をマーコが読むと、そこには「太陽が過去であり、地球は現在であり、月は未来である」と書いてあった。これって、どういう意味なんだろう。
S うーん、なんだろうね。でもこの通り、月が未来であるとすれば、月はマーコが追いかけるものの象徴なのかなと思った。マーコは父も祖父エフィングも亡くなったあと、エフィングがかつてやったように(そして、アメリカの歴史がそうであったように)アメリカの西海岸を目指すんだけど、最後満月が上るシーンでこの物語は幕を閉じるんだよね。ここにたどり着くことでマーコは、何か大事な問題が解決するような感じがする、幸福感に包まれていると言っている。「僕はただ歩きつづければよいのだ。歩きつづけることによって、僕自身をあとに残してきたことを知り、もはや自分がかつての自分でないことを知るのだ」とあるように、マーコが過去を清算、というかルーツを知った上で、新たに未来へと歩んでいく象徴が、月なのかなと。月も、東から西へと移動するし、マーコも月(未来)へ向かって、東から西へと進んだんじゃないかな。
M なるほど。太陽に照らされた月を目指して歩く。過去、経験から自分を知って歩いて行く。そう考えるとこの小説ってすごく長くて後半ちょっと冗長に思えるけど、何度もくりかえし登場するメタファーである月が主人公を導いていて、それがこの物語を見通し良くしてるのかもしれない。
オースターの文章
S すごくぐいぐい読ませるよね、この小説。やっぱりオースターの文体によるものなのかな。
M 「村上春樹 雑文集」にて、オースターの文章について触れられているんだよね。彼の文章はすごく音楽的だって。実際、オースターも執筆しているときは音楽の存在を強く感じているらしい。「ムーン・パレス」って、哲学的で抽象的話、長々と続く冒険話、一人語り、強いドラマ性、みたいな雑多な要素が全部詰め込まれているんだけれど、それでもぐいぐい読ませるのは、さっき出てきた月のメタファー以外にも、その音楽性によるものなんじゃないか。村上春樹はバッハを引き合いに出していて、オースターの文章はバッハの「壮絶なミクロコスモス」、「息を呑むようなシンメトリーの宇宙」と重ねているんだよね。
S なるほどー!村上春樹も言及していたとは。やっぱりそのリズムが、この小説を貫いているし、だからこそ面白くさせているのかな。
そういえば、私エフィングが食べ物を食べるシーンがすごく印象的で。エフィングがどれだけ汚く食事するかっていうのが、事細かく描かれているんだよね。スープを音をたてて飲んだり、とにかくこぼしたり。読んでてうわ、汚いな見たくないなって思うんだけど、そう思わせるってことは、作家の文章が上手い証拠だってどっかで読んだことがある。食べ物を美味しく描くことはできても、まずそうに描くのは技量がいるって。
M 確かに!あと、文体だけじゃなくて、語り手についてはどうかな?この小説、地の文はマーコが語り手だけれど、途中エフィングとマーコの父バーバーによる語りになるんだよね。この語り手が変わるっていうの、夏目漱石の「心」みたいだなと思った。有名な「先生の遺書」が、先生の語りであるように。こうやって語り手を変えていくことで物語が重層的になったり、親子3代というクロニクル(年代記)ものになったりしていて、時間や時代というものをすごく意識させている気がする。
S 語り手といえば、マーコっていわゆる「信頼できない語り手」なんじゃないかな。特にエフィングと出会う前の、最初の方。恋人キティに初めて出会ったときとか、部屋を追い出されるあたりとか、兵役のための検査のシーンとか、本人が語っていることと周りが彼から受ける印象に乖離が結構見られる気がする。「信頼できない語り手」といえばカズオ・イシグロ(「私を離さないで」など)に顕著だけれど、語り手に沿って物語を読んでいると、それが現実と乖離していることにだんだん気づくんだよね。現実とそうでない世界、事実とそうでない想像の境目などが曖昧になっていく、そこもこの語り手ゆえの面白さだと思う。その分、はらはらして読むことになるしね。
......などなど、今回もざっくばらんに話しました。再びやって思ったのが、やっぱり誰かと話すと解釈の幅も広がるし、その場で新たな見方も生まれていくということ。
「ムーン・パレス」は単純に物語を追っていくだけでも面白いし、今回は触れなかったけれど、アメリカの歴史として(西部開拓、ベトナム戦争、月面着陸)、またはその関連として読むのも興味深いと思います。古典というわけではない小説であるものの、最初に言ったようにぐいぐい読ませるので、だまされたと思ってまずは手に取ってみてください。何といっても「それは人類がはじめて月を歩いた夏だった。そのころ僕はまだひどく若かったが、未来というものが自分にあるとは思えなかった」から始まるんですから。
その上で、この対談を横目に、自分にとってのこの小説の意味みたいなものを考えてもらえれば嬉しいです。
次回取り上げる作品は、カポーティの「遠い声 遠い部屋」か「ティファニーで朝食を」の予定です。なぜかアメリカ文学が続きます。
- 作者: トルーマンカポーティ,Truman Capote,村上春樹
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2008/11/27
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あなたの小説との出会いに、幸多からんことを。
★★★今回出てきた本たち★★★
- 作者: ポールオースター,Paul Auster,柴田元幸
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2007/12/21
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- 作者: ポールオースター,Paul Auster,柴田元幸
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